やりたい仕事ってなんなのだろうか
人生はよく旅に例えられる。
「今から自由に時間を使って旅行に出かけてください」
すると誰だって自分の行きたい場所で食べたいものを食べ、見たいものを見て、自分の時間を過ごす。
誰も行きたくない場所で、まずいものを食べ、嫌なものを見て、誰かに指示されたいとは思わない。
人は死んでしまえば、それまで持っていた富も名声も全てを失うわけだ。
死後の世界に持ち込むことができない。
となれば、自分のやりたいことをやりたくなる。
しかし、自分がやりたいこととはなんだろう?
何かをやりたいと思う時、まず感情が生まれている。
それをやったら気持ちがいい。ウキウキする。
ワクワクする。嬉しい。
そのような本能を満たしたがる。
そして、それができるかどうかを判断する。
例えばお金だ。
お金が足りていれば、それを買い、足りなければ買わないわけだ。
では仕事として考えてみよう。
自分がやりたい仕事があるとする。
まず、感情が生まれる。
それをやったら格好いい。それをやったらモテるチヤホヤされる。
しかし、感情が生まれる基準は他人にはわからない。
そして、仕事ができるできないは、自分に仕事をこなす能力があるかどうかで、判断できる。
英語が話せなければ、通訳はできず、車の免許がなければドライバーになれない。
つまり、仕事を選択する基準は感情ではなく、能力に従うのだ。
だが、能力は不変のものではない。
できないことも続けるとできるようになり、できていたこともやらなければできなくなる。
ということは、素質も重要である。
本人がその仕事に向いているほど、必要な能力と持っている能力の差は解消しやすい。
結論を言えば、どんなに本人が自分の本能に従って仕事を選んでも、能力または素質がなければ、その仕事はできないということだ。
これは曲げ用のない事実だ。
私について言えば、技術や事務に向いている。
これは前に述べた集中型や能力の観点から見て、判断できる。
さらにいえば、電気電子を専攻したのだから、その分野に長けているのは言うまでもない。
ではなぜ、電気電子を選んだのか?
これは目に見えない世界に存在する技術に惹かれたからだ。そのほうが、機械や化学、情報という他の選択肢よりも面白そうだと感じたからだ。
しかし、目に見えない世界を基準とするなら、情報はそれに適合する。
今もし、もう一度大学に進学し、専攻を選べと言われたら、多分情報を選ぶだろう。
当時はパソコンを持っていなかったから情報という分野のイメージが出来なかったのだ。
だから私の進む先は情報分野であるべきだ。