☆読書感想 ユーチューバーが消滅する未来
著 岡田斗司夫 社会評論家
2018
コンテンツ周辺における未来予測や現状議論を行なった一冊。
題名からするとYOUTUBER批判の作品に見えるが、実際は的確にいろんな事項を考察している。
まず、この本における予測の重要項目はAIの台頭だ。
2019年現在、ユーチューバーとは国内の人気少数グループ側を示す言葉として、主に使用されている。
しかし、この本によると数年か十数年で、これが変わってくると言う。
それは海外との本質的グローバリゼーションである。
今でさえ、自動翻訳技術というのは日常的に使えるレベルとは呼べないが、昔に比べると驚異的な次元まで技術が発達している。
これが、上記の年数を経るともはや日常レベルに達し、海外と国内の言語摩擦がなくなると言っている。
すなわちその時には大量の海外コンデンサの波がやってくることになり、ユーチューバーとはその世界的アーティストを指す言語に変遷するということだ。
ニッチなジャンルでは、国内コンテンツも人気のアーティストが生まれるだろうが、海外コンテンツに比べ、量、質共に劣っていることは人口基準で容易に想像できる。
さらに、これらコンテンツは次第に人間を不要とし、AIの自動配信チャンネルが、主流となると著者は考えている。
確かに顔も形も自由な造形の存在が、編集や配信に関する手間を排除し、延々と定期配信し続けるチャンネルがあれば、そちらに人気が出る可能性は十分に考えられる。
特にVtuberと呼ばれる仮想キャラクターによる配信がブームとなった昨年を考えると人間の配信である必要性は完全になくなる感覚も共感できる。
そのときには芸能人が不要となるだろう。
そして、これは未来予測ではなく現状把握だが、現代を「現実を盛る社会である」と示唆している。
FacebookやTwitterといったSNSはアメリカ大統領さえも発言の場として、利用している。
しかし、それら滝のような情報の発信に対し、一つ一つの情報が正しいかどうかはほとんどの人間が考えていない状況にある。
これはその情報が正しいかどうかよりむしろ、インパクトがあるかどうかに主観が置かれているように変化したからだと著者は述べる。
なるほど確かに政治における情報戦においても、政党を優位にするために他の政党を貶めるような情報がよく発信されるわけだが、情報の発信に対する信憑性が無くても人々の印象は変化してしまう。
人は何の変哲も無い情報よりも心踊る、いや揺さぶられる情報を常にチェックしている。
このような時代では、自分たちも自分を盛る環境に身を置かざるを得ない。
つまり、心象戦略が細部よりも重要な時代となったということである。
私たちのような一般の人間であっても、この波は受け入れなければならない。
そのような思考性を皆が持つ以上、逃げ場はない。
さあ、自分を飾ろう。