☆読書感想 失敗の本質
1991 (左記は文庫版。原典は1984)
大東亜戦争をメインとした日本軍の失敗をまとめ綴った一冊。
分析した戦闘は
・ガダルカナル陸戦
・沖縄戦
以上の6つ。
今まで大東亜戦争時代の詳細を語った本は読んでこなかった。70年前の戦争は今の時代の出来事とは関係ないのではないかと感じていたからだ。
しかし、この本を読むと時代など関係なく、日本人の特性をよく理解することができ、これを現代の企業戦争に活かすことができるはずだと感じた。
日本が戦いに負けるのは、資源や経済力を原因として捉えれば、当然のことではあるが、実際には全ての戦闘で負けているわけではない。
また、負け戦として戦った作戦もあったが、中には如何にも冷静さを欠き、勝てるべく戦争を流すこともあったわけだ。
この本で、語っているのはそうしたあるべき姿を逸した戦いである。
本の総括では、6つの戦いで共通していて、印象に残るのは3つある。
1つは日本人は帰納的思考を行うということ。
つまり、過去の経験から物事を考え出すということである。
取り扱う現在の事象が、過去の延長線上にある場合には有効な思考法であるが、全く前提がなかったり、極めて特異的現象には歯が立たない。
ただ、ここで注意すべきは経験に対する分析力や振り返りがないという点である。
日本の戦闘では、米軍よりも情報軽視が多く見られる。
例えばミッドウェーなどでは戦闘前から作戦の詳細を相手に知られてしまっている。
また、インパール作戦も英軍に斥候(監視員)や空挺哨戒に見破られている。
さらに、自己分析ができず、ガダルカナルやインパールなど劣勢時の兵力逐次投入をして損害を肥大化している。
すなわち、自分たちの成功体験に基づく戦法しか取れない。
これらは陸軍が日露戦争時の成功、海軍が日本海海戦の成功に引きづられているためだ。
突撃と艦隊決戦の思考から抜け出せず、そこから発展することがなかった。
然るに現代の企業も同様で、過去の栄光に囚われ、進化することができていない。
日本の企業は低賃金の時代からポテンシャルを発揮し、経済成長を成し遂げた。
だが、それが終わった2,30年、画期的、革命的変身を遂げることはなかった。
過去から学べない愚かな民族だ。
2つ目は、人情組織的集団であること。
まず、どんなに重要な事柄であろうが論理的結論でなく感情的結論が最後に来ている。
ノモンハン事件及びインパール作戦の発生や即時中止が行えない状況というのは、それが原因である。
自分の懇意にしている人間の発言や思考を冷静に見ることができず、鵜呑みにしてしまう。
これは日本人の性格をよく表している。
連体感や空気を読めという言葉を日本人は好むわけだが、戦争という命のやり取りであっても、それは守られるべきものとして固執する。
これは論理的でなく、欠陥そのものである。
また、失敗を犯したものに対する刑罰が余りにも疎かである。
上記戦闘の失敗においても、その責任を本来取るべき人間に取らせていない。
それはつまり、結果は重要視せず、途中のプロセスや姿勢を重要視するということだ。
これも論理的ではない。
戦い方がどれだけ良くても、負けてしまえば、水の泡である。戦争においては拠点を確保できなければ途中の損害は無駄に終わってしまう。
負けたという事実は断固として受け入れさせるべき結果なのだ。
今の時代、失敗したものに対する懲戒免職はある程度形になっているだろう。
(私が務めていたある会社では犯罪を犯した人間を辞めさせず、異動させる形で残したが)
ただ、欧米に比べるとなんとも冷徹にあるべき組織にできていないと感じられる。
最後は、集団的性格を持つにもかかわらず、上意下達あるいは下意上達ができない点だ。
これだけ空気を重要視する組織であっても、ノモンハン事件の関東軍の独断、レイテ沖海戦における栗田艦隊の反転や沖縄戦における第三二軍と大本営の齟齬など思考の共通化ができていない。
しかも、大本営の指示が曖昧であること、すなわち空気を読ませるという中途半端な強制が、結果的に意図が伝わらない現象が起きている。
これらは誰それが自分と同じ考えだという思い込みや自分に都合の良い勝手な解釈を引き起こす悪因である。
非常に不合理な集団組織だ。
本来あるべきなのは、そもそもそれぞれの思考は異なるものであるのだから擦り合わせ、話し合いを継続し、より思考を共有化しようとする習慣である。
それが日本にはなかった。
現代でも同様だろう。
日本人は空気を読むあまり、ディベートの機会を失っている。
それは教育からしてそうであり、直す努力をすべきだ。
さて、以上感じた点や直すべき点を述べたが、果たして自分はどうだろう。
多分、ここにあげた日本人的性格を持つ代表的人間な気がする。
やはり変わるためにこのような経験を本から得て、自分の糧にすべきだろう。
「人のふり見て我がふり直せ」である。