☆読書感想 現代語訳 論語と算盤

著  渋沢栄一  江戸-大正時代 実業家

訳  守屋淳  中国古典研究家

 

東京証券取引所第一国立銀行王子製紙日本製紙サッポロビール太平洋セメント東急電鉄東京海上火災保険など現在も続く主要企業や組織の設立に関わった日本を代表する実業家の一冊。

 

この本は現代語訳となっているため、まったく違和感なく読み切ることができた。

翻訳者に感謝したい。

 

内容は著者が70歳になった頃に書かれたもので、彼の生き方や当時の日本の商業のあり方を若人に講演した際の話がまとめられている。

 

当時の日本は、明治維新から50年ほど過ぎた頃であり、日露戦争が終わり欧米列強をさらに強く意識していた。

そんな中、渋沢は当時非常に貴重な海外渡航に勤しんでおり、日本の士農工商の中で、商業の遅れと経済の重要性を誰よりも感じ取っていた。

 

この本では、商業に対する姿勢として、渋沢本人が中国史の研究家ということもあってか、孔子論語を主体としている。

それ以外にも孟子朱子といった儒学の考え方こそが人間のあるべき姿だと説いている。

 

読んでいて驚きに満ちていたのは、約100年前の人間の書いたことに関わらず、今日の問題に通ずるところがあった点だ。

それは大きく分けると3点ある。

 

 

一つ目は女性の社会進出についてだ。

当時は江戸時代の名残として、父親第一、領主第一という男尊女卑が強烈に残っている時代であった。

江戸時代は徳川家が300年近く継続させた素晴らしい時代でもあるが、現在の感覚からすれば、女性の社会に対する役割は家事や農業に縛られ、苦しい環境にあったであろう。

 

しかし、欧米においては同時期にすでに社会で活躍する環境はその姿を見せており、渋沢の発言は男子に偏った日本の視点を変えさせたいという意識が感じられる。

残念ながら、100年経った今でも日本の考え方は変わったとは呼べないが。

 

 

二つ目は、利益にこだわってはならないという点だ。

これは先日読んだPayPal創業者のピーター・ティール氏とまったく変わらない意見である。

 

株主に還元することを目的に持ったとしても、人(青年)の本来あるべき姿は論語における「仁義礼智信」にあると説いている。

 

皆が利益に拘るというのは自分が利益を得るために他者から奪うことになる。それは社会のあり方としてふさわしくないということだ。

不毛な争い合いは最終的に自分の身を削ることになる。

 

だが、渋沢の場合、まったく利益を考えないというのもあるべき姿ではないと説いている。

宋の時代の自己利益を無視した社会が、国を滅ぼすことになった原因であることを示した。

つまり、利益は士気や成長に必要不可欠であり、肯定していることにもなる。

 

結局はそのどちらも頭に入れ、バランスを意識することだと言っている。

企業には利益を上げると同時に社会における道徳を満たす存在であること。

これは現代社会の企業でも考えるべきことである。

 

 

三つ目は、仕事に対する姿勢だ。

渋沢は仕事を趣味としておくことが、成功の鍵だとしている。

それは遊ぶということではない。単にやるというだけでは意思ある人間ではなく、ただの人の形をした肉の塊になってしまう。

だから、人であるために仕事を趣味とし、努力することが大事だ。

 

私も個人的にこの意見に強く共感を覚える。

会社を辞めたのはまさしく、自分が肉の塊、ただのマシーンになっていたからである。

仕事を好きにならなければ、自分の人生は虚しいものなってしまうだろう。

 

 

以上のように渋沢の着眼点やバランス感覚は今の事業家より多分に優っていると感じられた。

太平洋戦争も第二次、第三次産業革命も経験していない人間が書いているのである。

恐るべき視野の持ち主である。

 

やはり人はこの本に限らず、論語など語り継がれる過去の遺物に尊敬と感謝の念を持って、これを勉強すべきであろう。

100年前の書物から学ぶことができ、何千年も前の書物からも学ぶことができるのは、人間の数ある能力の中で最も偉大な能力だ。

 

これからも歴史を教訓として学んでいきたい。