☆読書感想 ZERO to ONE
2014
PayPalマフィアと呼ばれる、創業当時のボスの書。現在はベンチャーキャピタル投資家。
この本のテーマは題名通り、以下にして0を1にするかということである。
それは世界中で誰も発見していない世界の真実を暴く事であり、決して誰かのコピーとならないことである。
中国を見ればわかる通り、世間一般的にはタイムマシーン経営が、自社の成長にもっとも有益であると感じてしまうが、著者の考え方は全く逆の発想である。
つまり、他者の真似をするだけでは参入者の増加とともに過当競争に追い込まれ、次第に収益を失ってしまうということである。
著者はそれを経験しているので、その競争を避けることに重点を置いている。
ゲーム市場はいい例ではないだろうか。
ソーシャルゲーム界隈は冷酷非情の世界である。5年続くゲームは今まで数えるほどしか存在せず、どんなに有名なゲームでも5年ほど経つと人気が低迷してしまう。
これは参入ハードルの低さが、新たなる強敵を生み出す環境にあるからだ。
しかし、コンシューマーゲームにおいて、この構図は成り立たない。
任天堂はゲームハードとゲームソフトの両方を自社で開発し、収益を上げ続けている。
この両方の開発ができるのは現代においては任天堂のみであり、これがこの会社の収益を長年にわたって生み出す要因となっている。
独占企業とその他の企業の大きな違いというのは、物の値段を自社が決定するか、市場が決定するかという点にあり、後者の場合、競争環境にあればあるほど価格は下げざるを得ない。
だからこそ市場を独占できるユニークな考え方が必要だと説いていた。
この本を読むと著者は非常に長いスパンで企業を見ていることがわかる。
企業の本質は利益を上げることだと述べる人間は多数いるし、それも一理あるのだが、最も重要な点はその企業がどういう経緯で立ち上がり、どういうビジョンを持っているかという点らしい。
そのビジョンを社員が共有できていて、それに従い続けることで、大きな成長を遂げるという持論を持っている。
また、新しいアイデアがあったら、小さい環境下で実行に移すことも重要だと発言していた。
これはネスレ日本社長の高岡浩三氏の著書「世界基準の働き方」での発言と全く一致している。
この御二方の内容をまとめると
イノベーションを起こすのは、
・前例のない考え方
・絶え間ない思考、情熱、実践
・小さなチャレンジ
を持つものである。
1に幾ら1を足してもnになるだけで、それを単なる横展開。
マクロな視点で見るとグローバリゼーションはそれにあたる。
必要なのは世界を動かすほどの力を持つ0を1にする縦展開であるということだ。
ところで、最近本を読み続ける中で、シンクロニシティをよく感じる。
上記の内容もその一部で、誰かの書いている内容が全く別と思える分野の人のものと同じことがあるのだ。
読む本を選ぶのは私自身であるわけだが、それは気になることに対する答えを追い求めているからである。
その答えとはこのようにたくさんの本の中から多数の人間が経験的にでもこうだと判断している内容にあるような気がする。
これはたまにしか本を読まないのでは気がつかないことである。
私は今後も本を読み続けていきたい。毎週のごとく書店に通い、必要な答えを導き出すためにあらゆる情報を目にしたい。
私の人生は大きく変わろうとしている。
☆読書感想 TYPE-MOONの軌跡
著 坂上秋成 文芸批評家
2017
TYPE-MOONの同人時代からの発売してきた作品群に対する批評とその成長について語った一冊。
TYPE-MOONといえば、18禁ノベルゲームから始まったFateシリーズで有名である。
中学生時代の同級生、奈須きのこと武内崇というシナリオライター、イラストレーターがTYPE-MOONの元となる竹箒という同人サークルを作った。
その後TYPE-MOONを結成し、同じく18禁ゲームの月姫を発売したことが人気の発端となった。
その後、空の境界や魔法使いの夜、FGO(Fate /Grand Order)といった作品の人気はとどまることを知らず、現在のコンテンツ業界にその名を馳せている。
18禁ゲームというとエロティック、グロテスクな表現が一般ゲームからタガが外れてしまっている作品が多いわけだが、この作品は違う。
一般の人でも楽しめるテーマを土台として書いているからこそ人気は出ているのだと思う。
また、英雄を使うという発想はその後のスピンオフ作品の作りやすさにつながっていたと著者は言っている。
Fateのスピンオフ作品に多くの18禁ゲーム出身シナリオライターが関わっているようだが、同じく内容を一般にも通じるものとして描いていることが多い。
虚淵玄などはアニメや特撮といった一般業界に名前が出てくるようになったのも、それが関係していると考えられる。
ライターの中には恋愛要素だとか、暴力的要素を際立たせることで、有名になっている人も多いが、それだけではコアな客層だけしか評価を得られない。
継続的に人に読んでもらうためには、やはり少数の人だけではなく、大勢の人間に興味を持ってもらわなくてはならない。
その点で、TYPE-MOON、特に奈須きのこはより受け入れられやすい内容を作り続けることで、これだけの人気を得たようだ。
しかし、私はアニメも漫画も特撮も大好きだが、Fateが面白いかと言われたら、正直微妙に感じる。
それは、どういった点にあるかと言われたら、いわゆる厨二病と言われるような格好つけた文章や表現がどうも気持ち悪いからだろうか。
よくこういった空想作品では特殊な能力というものが出てくるが、特に魔法というのはどうにも受け付けない。
紋章が浮かび上がったり、キザったらしい口上で、大仰に繰り出すのが嫌でたまらない。
そこにリアリティはないからだ。
私は作品の良さを語る上で、必要なのはリアリティだと考えている。
そもそも、人の頭の中から作り出されたストーリーは、他人には理解されない部分が多い。
そこで共感を得るためには、現実味を帯びている必要があるはずだ。
たとえば、魔法も科学的に出てくるものであるなら、おかしくはないだろう。
紋章も生身の人間から突然湧き出てくるのではなくて、それを光として生み出す媒体があるから納得が出来る。
そういった細かい部分の納得感がなければ、どんなに全体の話の構成がよくても、腑に落ちないのだ。
話を構成する上では、共感を得ることが何よりも大事である。
その上で、私が一番納得できるのはジョジョだと思う。
これも引いては特殊能力同士の戦闘が主であるが、登場人物が展開する場所や時代背景によくマッチしていると感じる。
イギリス、イタリア、アメリカ、ドイツ、日本にいかにもいそうなキャラクターで思想がその時々の場面にあっていると感じる。
また個人の能力もそのキャラクターにいかにもピッタリだと感じることが多い。
突然ビームが飛んだり、衝撃波が走るのではない。
そこにリアリティがある。
だから、英雄が出てくるというのは面白いし、そのキャラクターを作るのはいいが、もっと泥臭くしてほしいと感じる。
殺し合いを描くなら殺陣を演じるのではなく、殴り合いが正しいのだ。
☆読書感想 MaaS モビリティ革命
著 日高洋祐 他3名 モビリティアナリスト
2018
MaaSとはフィンランド発の論文における概念で、mobility as a service の略。
この論文内で、モビリティオペレーター(或いはMaaSオペレーター)=全ての交通機関を連結させたサービスを提供する事業者が存在する次世代交通網が必要になると示している。
この、全ての交通機関とは、ライドヘイリング(マイカーによる配車サービス)、カーシェアリング、自転車シェアリングといったものも含む。
電車、飛行機、新幹線、タクシー、あらゆる移動手段で目的地までの移動時間を示し、それぞれをまとめた単一の金額で、移動を可能とする社会。
これが、論文で提示された未来のモビリティソサエティだ。
ではどの事業者がそれを担うのか?
2018年現在は自動車メーカー、国営事業者、配車サービス提供者などなど、様々な国で模索中である。
その中で、論文を発表したフィンランドにはすでに一部社会実験を行ない、現在もサービスを提供する企業がある。
MaaSグローバルという会社だ。
この会社はウィムというアプリを開発し、提供している。定額制の交通利用統合アプリである。
この定額制サービスというのが要で、この会社はインターネットの通信料金形態の変化からヒントを得たらしい。
フィンランドといえば世界的企業として名を馳せたノキアが有名なので、携帯での利用形態の変化もあったはず。
我々も携帯料金定額制については馴染み深い。
携帯(インターネットも同様)ではもともと使用パケット量に応じた従量制が主流だった。
それが、通信インフラの進化に伴い、定額制に切り替わった歴史がある。
このとき、定額制によって様々なサービスの革命が起こった。
YouTubeやAmazonといった巨大Webサービスの発現だ。
定額にすることにより、革命的新サービスが生まれる可能性がある。
これはMaaSでも同様と考えられる。
MaaSにおける定額制の利点は様々で、支払いの煩雑さ、時間から解放される点や改札等のインフラのメンテナンスなどが不要になる点が挙げられる。いい事尽くしだ。
しかし、日本についてはこの異なるサービスを一括りにすることが難しい状況にある。
日本では民間が運営する鉄道やバスなどが当たり前だ。
これは制度導入に対して枷となってしまう可能性が高く、どの事業者も導入においては自社にメリットをもたらすものでければ賛同が得られない。
驚いたことに世界では逆に民間運営はほとんどなく、国営中心である。
日本よりも海外の方が導入のアドバンテージがある。
日本では、2020年の東京五輪に向けて自動運転技術の向上やサービス実現に全力を尽くしているであろう。
ちなみに東京五輪期間中には800万人の海外観光客が首都圏に溢れるようだ。
交通麻痺の可能性も予想されている。
MaaSを導入出来れば、鉄道以外の様々なサービスへ負荷が分担されるはずだ。渋滞や混雑状況の改善に繋がる。
難しい状況でも世界に先駆けて、MaaSを導入出来れば、もともと、時間に正確で往来の大量処理ができている我が国が世界の先端を行く超高度システムを作ったとして世界の見本になれるだろう。
これがこの本のテーマだ。
そしてもう一つMaaSに欠かせないものがある。
それは自動運転車だ。
日本はマイカー大国である。日本でのマイカー平日利用率は世界に類を見ないほど高く、東京大阪等では1.5割程度だが、最も高い熊本では6割に近い。
これにより、特に地方では自動車を利用する前提の街づくりとなっていて、地方都市であればある程度の公共交通機関が整っているが、本当のど田舎では、車がないと生活が成り立たないと呼べるほどの環境になっている。
この状況を改善できるのは自動運転技術で、先のMaaSの一部としての活用も望める。非常に相性がいい。
私を含め、デジタルネイティブと呼ばれる若手世代では、ものを所有することに意義を持たない人が多い。
車の金額も軽ですらオプション諸々を含めて200万円を超える時代だ。
この本では車を所有した場合の費用を簡単に計算しており、ガソリン代、保険代等も含めれば、月5万円だという。
これでは、給与が上がらない今の時代、持とうと思わなくて当然だ。
今後、自動運転車が普及すれば、車を持っていない人も車を利用できるようになる。
これは大きな変革である。
ただし、それはマイカーではなくなるだろう。あくまで配車サービスの一部だ。
さらに自動運転の方が車の動作時間は増えることになるので、メンテナンスを行う事業者が必要になるだろう。
MaaSは土地に縛られてきた人間の歴史を大きく変えることになる。
都市や郊外の街の在り方もそれまでとは180度変わっていくだろう。
それは混沌とした今の日本の姿を浄化していくに違いない。
そんな世界が1日でも早く来ることを切に願いたい。
☆読書感想 IT業界の働き方改革
著 高瀬俊誠 it人材会社社長
2018
it業界の腐った土壌と今後日本が進むべき、IT業界の在り方について述べている。
まず、わかりきったことだが、IT業界での客先常駐は本来あるべき派遣方法ではない。
日本ではSES(システムエンジニアリングサービス)という呼称で、この方法が至る所に蔓延っている。
この方法は当たり前だが、会社内に技術力が蓄積されない。
普段客のところでやりとりしている無数の社員が、自らの会社に対して、いかなる資産となるのだろうか。
これは会社に金を落とし続けるだけで、まさしく奴隷なのだ。
こんな業態で、本人のモチベーションが上がるはずもない。
この業界はさらに多重下請けの構造を作り続けたため、社員の給与は他国に比べて、安価に留まってしまった。
下にいればいるほど、上の会社による中抜きが行われるのだから当然である。
しかし、2015年、派遣法改正が行われた。
客先常駐のような特定派遣は禁止された。
(時期を規定した派遣は一般派遣とされ、これは従来通り可能)
また、2018年10月以降、資産として2000万円を所有(実際は細かい条件があるが)していることが派遣業を継続して行える条件となった。
この条件によって、多数の会社が星となる。
2万社以上あるうちの5000近くがこれで消滅する。
消滅が鍵となり、溢れたIT人材はまだ存在する中規模、大規模企業に集まり、競争力が上がるはずだ。
だから、IT業界の給与も上がり、本来高給であるはずの業界に徐々に近づくと筆者は述べている。
私はこの意見に賛成はできない。日本の企業の競争力を上がるとは一概に言えないからだ。
少なくとも現状、会社の大半の経営者は50以上を超えた老獪ばかりだ。これではいかに新しい人材を確保しても、イノベーションが生まれない。
そういった年寄りの中でも仕事に対する意識のないゴミを分別する必要がある。
ゴミはしっかりゴミ箱に入れ、整理してからでなければ会社は成長しないだろう。
そういったゴミは若者に目に付きやすい、ただ座っているだけで、自分たちの倍近い給与をもらうのだ。
士気はあがらない。
しかし、日本がこれから訪れる第4次産業改革で、生き残るためには、やるしかない。
未来を信じ、戦えリーマン戦士。
☆読書感想 チャイナ・イノベーション
2018
中国の主要企業の変遷と歴史、そして中国当局の目論見に対し、翻って日本の状況を辛辣に示している。
この本を読むまで、自分の中では、例えばファーウェイやシャオミ、OPPOといったスマホ生産企業が中国の主要企業だと思っていた。
なんとも恥ずかしい。
本当の中国の主要企業とは、アリババ (アント・フィナンシャル)とテンセントだ。
アリババはEC・クラウド・銀行の機能を提供する中国最強の企業だ。
テンセントはコミュニケーションツールを代々提供してきたアリババに並び立つ企業だ。
アリババ=銀行兼アマゾン
テンセント=銀行兼フェイスブック
と考えるといいだろう。
その下にいるのが先に挙げたスマホ企業、さらドローン生産会社のDJI、中国のUberと言えるDiDiだ。
その他強力なスタートアップ企業が並び立つ。
アリババ、テンセントの眼を見張る成長はどこからきたか。
それは決済手段としてQRコードを利用した簡易決済を広めたことだ。
中国の国民は全員がクレジットカードの保有率がそれほど高くなく、また持っていたとしても決済の成功率は高くなかった。
これが主要2大企業を成長させることになった。決済のデータをすべて記録することができたからだ。
銀行を介さずに取引を行えるようになり、データという資産を増やすことができた。
(後日、銀行側は銀聯カードというものを発行し、銀行も顧客の決済データを得ることができるようになった)
人口が日本の10倍以上あるこの国では取引が尋常ではない量で行われる。
これにより、企業は莫大な利益を短期間で得られるようになり、その成長スピードは誰も経験したことのないものとなった。
中国に対抗できるのはアメリカの一部の企業のみだろう。
市場規模、データ量、人件費、どれを取っても対抗できる手段がない。
政府によるサポートでさえ、他国からしたら考えられない規模なのだ。
日本からたった3時間で行ける隣国が、たった20年で世界を制してしまったのだ。
日本が今後、世界で戦うにはやはり人材が重要になる。
特許申請数は先進国の中でも少ない方で、海外留学率も非常に低い。
どう足掻いても、海外に目を向け、新しい販路を拡大しないと消えていく一方だ。
戦わなければ生き残れない。
☆読書感想 人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊
著 井上智洋 駒大准教授
2016
AIの発達に伴う経済および雇用に関する影響を2045年のシンギュラリティまでにわたって考察した一冊。
まず、この著者はaiの発達により、現在の中流階級の雇用が消え失せると示した。
これは中流階級に属する事務労働がなくなり、富裕層の頭脳労働と貧困層の肉体労働のどちらかにシフトしていくというわけだ。
(基本的には貧困層に移る)
さらに肉体労働も次第にAIがカバーするようになり、そうすると貧困層でさえ、職を失うこととなる。
このとき、どのように国は対応していくのかという難題に対し、ベーシックインカム(BI)が有効になると説明している。
著者の考えるベーシックインカムでは全国民を対象とし、高齢者の年金をも所得とみなして、高所得者がより負担することになる。
無収入の子供であってもその対象とし、同一支給をするということらしい。
段階的に導入し、最終的に月7万円が妥当だと述べている。
しかし、これには反論を申し上げたい。
子供でもお金を支給されるということは、子供を作れば作るほど得ということになる。
現状でも大きな問題となっている待機児童問題があるが、これにどう対処するのか?
少なくとも少子高齢化対策にはなるが、正直なところ、このような制度を導入するのは根本的解決にならないと感じる。
導入時にインフレを発生させる可能性があるため、慎重に行う必要があるとか、そうではなくて、一番重要なのは海外から日本へ流れる金の流れではないか?
要は日本の対外生産力の向上である。
幾ら、手をこまねいても、これがないと国が保てなくなる。
現状日本の生産力はバブル後から低下してきているが、持ち直せていない。
日本の新しく出た企業も製品も海外に名を轟かせるということがない。
これは恐怖である。
未だにたくさんの企業や国のトップが、日本の成功体験に囚われ、革命を起こせていない。
日本は中国を見習って「創造的破壊」を起こさなければ、茹でガエルになってじわじわと死に近づくだろう。
変身せよ。日本。
すべてを破壊し、全てを繋げ。
☆読書感想 生きるのが面倒くさい人
著 岡田尊司 自クリニック院長
2016
著者の大学時代の自堕落な生活からさまざまな精神的疾患の症例と回復、また回避性パーソナリティに関してまとめられた一冊。
回避性パーソナリティとは、
社会的抑制、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式を表す。
この本を読んでいて、余りにも自分の性格に一致していたので、自分の性格が疾患であると断定できた。
それは、激しい人見知り、恥に対する敏感性、他者に対する無関心さ、しかし人には愛されたい部分もある、と言った面である。
この症状はいつから始まったのかとよく思案することがあり、昔の資料を読んだことがあった。
その中で小学校の卒アルの中に興味深い一文がある。
「僕は人に頼る人間ではなく、頼られる人間になりたい。」
これはまさしく回避性パーソナリティを示す症状である。
つまり、小学校の時点で発症していたのだ。
思えば幼稚園の頃は友達のことを気にするだとか、一緒にいるのが嫌だと感じたことはなかった。
しかし、小学校3年になるとき、わたしは転校を経験している。
これが最も自分の性格に影響を及ぼしていたと考えられる。
元々引っ込み思案な所はあったが、この頃から人前で発言することに非常に緊張を感じてしまい、笑われてしまうことを恐れていた。
両親も共働きで、塾やスポーツ教室に通うことが多く、普段は祖父母の家で放課後を過ごしていた。
また、余り親に何かを求めることがなかった気がする。
だから、友達と遊ぶ機会はほぼ0で、その後の中高大の生活においても友達ができることはあったが、そこで終わりでその後も継続することがなかった。
(大学に関してはまだ多少交流があるが、自分から会いたいと言って誘ったことは一度もない。)
学生の頃は勉強等の生活で余り気にしたことはなかったが、働きだしてからは、自分が誰も誘ったことがないことに気づき、自分がおかしいのではないかと感じていた。
しかし、この本によるとそれも子供の頃のコミュニケーション発達障害によって回避性の症状が生まれたからだとされている。
回避性は現代病とも言えるほど、急激にその患者が増えつつあるとされている。
結婚する成人が減ったり、時期が遅れて晩婚化が進んだりしているのもこの症状が原因とも考えられている。
つまり、告白によって相手に嫌われることを余計に思い込んでしまうということだ。
わたしは来年で30だが、誰かを好きになったことはあっても、告白したことがない。
学生自体、全くと言っていいほど異性とは疎遠だった。
でも、結婚が不要だとは思っていない。
結婚して子供ができて、新しい生活ができれば、人はさらに成長できるのだから。
現れろ!我が道を示す未来回路!